2006年12月30日土曜日

打撃投手

打撃投手」という本を読みました。
知り合いの野球選手が先ごろ、現役を引退し打撃投手になりました。打撃投手という仕事は、練習の時に投げるということは分かっていましたが、詳しい仕事の内容は分かりません。そこで、この本を読んでみました。

打撃投手の仕事は、やはり練習の時に投げる投手です。そこは、間違っていませんでした。しかし、かなり奥深く打者に気持ちよく打ってもらうことを要求されます。僕のイメージでは、試合と同じように難しい球を投げて練習するのかと思っていましたが、
そうではなく、打者の調子を上げるためにとにかく気持ちよく打たせるための投球をする必要があるそうです。
これは、結構職人にならなくてはできないようで、打者の好みや調子を見て、投げる球や投げる間隔を調整しなくてはなりません

打 撃投手は裏方の仕事です。今まで現役で打者を抑えることだけを考えてた人が、今度は、打者に気持ちよく打たせる仕事をします。投手としてのプライドを捨て る必要があり、それが難しいようです。一般的な社会では裏方から表に出て、終わることが多いように思います。僕も今は裏方ですが、数年後には表に出て行き ます。でも、打撃投手は現役時代に活躍した人もいます。そんな人が裏方に回ることを決断することは難しいことだろうなと思います。

「打撃 投手」の中には、王さんや長嶋さんといった人たちも登場します。活躍している選手に共通していることは、裏方さんへの気配りができているということのよう です。成功したから気配りができているのか、気配りができているから成功したのかはわかりませんが、兎に角、かなり大物になっても、打撃投手にきちんと礼 を尽くしていたそうです。

何事も1人では成功しません。協力していただいている方や関わっていただいた方には、きちんと礼を尽くした付き合いをしていきたいものです。

2006年12月24日日曜日

メリークリスマス

今日は、クリスマスイブです。
キリスト教徒でもないですが、
日本国では恒例行事となってしまっています。
そこに憂いを感じる方は是非、下記サイトを一度見て下さい。
そのサイトの名は、「メリシャカ!」です。
メリーお釈迦様。
信仰は厚くなくとも、仏教徒ですのでこちらの方がしっくりくるのではないでしょうか。
サイトは、若きお坊さんが作っていたと思います。

2006年12月21日木曜日

だから構造家は、楽しい。

某有名建築構造事務所の元スタッフ(ブログ旧称:南青山で働く番頭さんのblog)で独立された方のブログです。構造家の視点から見る建築の解説や現場や設計の様子がアップされています。

2006年12月18日月曜日

福岡アイランドシティーフォーリーワークショップ


先日、福岡アイランドシティに建築予定のフォーリーの公表会に参加しました。
土で出来た円盤状の固まりが地面から浮き上がった形態をコンセプトにしています。円盤状の塊には、様々なサイズの空間が穿たれて多様は空間を構成しています。
基本設計段階は公表会でひとまず終了し、今後は実施設計に入っていきます。
完成は、来年の秋頃になります。

2006年12月12日火曜日

NEC ecotonoha[エコトノハ]

ネット上の木にメッセージを書き込むとメッセージが葉っぱとなり、ネットの木が生長sていきます。100メッセージ毎に1本も現実の木を植えるエコプロジェクトです。
ビジュアル的にも綺麗です。
NEC ecotonoha[エコトノハ]

2006年12月10日日曜日

脳に関する本その2


脳に関する本 第2弾は、「脳のからくり」です。
この本は、適切は比喩を交えたやさしい脳の解説書です。
本 の中盤にニューラルネットワークというという言葉が出てきます。要は、脳のネットワークの仕組です。ニューロンのネットワークということになります。コン ピュータのような単純なデジタルな繋がりではなく、シナプスの量が増えたり減ったりすることで答えを出すことができるようなネットワークだそうです。つな がりの程度を微調整できるということは学習能力を持つことができるということです。間違った場合は、量を調節して再チャレンジを繰り返し、最終的な答えに たどり着くことができます。
僕の知っているネットワークは繋がっているか繋がっていないかという基準でしか判断していなかったように思います。繋がりの量を調整できるネットワークはかなり画期的だと思います。
この本では「ペンローズの量子脳」というものが紹介されていました。脳が意識を生み出す仕組みは、量子のように確率でした答えが出せないことだという仮説です。
逆に「驚異の仮説」というものもあり、こちらは人はニューロンの塊に過ぎないのだから、意識だって計算できます。という仮説です。どちらの説もまだ証明されていないそうです。

2006年12月4日月曜日

脳に関する本


脳ブームが到来し、脳に関する本を2冊読みました。
1冊目は、「脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?」です。 脳に関わる事例を解説していき、その中で最新の研究成果のさわりを教えてくれます。
こ の本の中で心に残った文章は、 人間の脳は体に見合った能力しか使っていないというくだりです。ちなみに、脳の10%で人間の体くらいなら自由にコントロールすることができると考えられ ているそうです。体を鍛えたり、厳しい環境に自分を置くことで脳は使っていなかった部分を使い出すようなイメージのことを書いています。体といってのその 延長である道具や車などの乗り物なども含まれてきます。F1ドライバーなんか時速300キロで走る車を手足のように扱うのだから、その分のは進化している のだろうと思います。そうやって考えると、住宅も体の延長のようなものなので、脳の進化に一役買えるのかもしれません。
他にも「海馬」「ストレス」「アルコールと脳」「年齢による脳の能力の低下」「睡眠」「脳波」「アルツハイマー」「ニコチン」など様々事柄と脳の関係性について書かれています。

2006年11月28日火曜日

アキハバラ@deep


アキハバラ@deep」を読みました。
映画化・ドラマ化されてはいたのですが、
あんまりでした。

2006年11月26日日曜日

雪舟展

山口県立美術館に「雪舟への旅」 展を見に行きました。
今まで、日本がの展覧会には行ったことはなく、
初めてじっくりと山水画を見ました。
雪舟がすごいのか技法・形式としてすごいのかは分かりませんが、
山水画はプロポーション・余白の取り方が
とても綺麗で完璧にみえました。
このバランス感覚を身につけたいです。

全体で一番は、慧可断臂図」という国宝でした。
慧可という人が、達磨大使に弟子入りするために
自分の手を切って持って着た場面が描かれています。
すごく緊張感が有り、いい絵でした。
達磨さんの衣だけが「ほわっ」とした線で書かれており、
神々しさというか超越したもののオーラが
にじみ出ているようでとても良いです。

2006年11月23日木曜日

パビリオン山椒魚

ひさしぶりに映画館に行きました。
パビリオン山椒魚という映画を見ました。
タイトルからも想像できるようにゆるい感じの映画です。
しかも主演はオダギリジョーです。期待は膨らみます。
監督も俳優も僕と年齢が近いです。
監督は31才、オダギリジョーは30才です。
なんだか変な親近感がわきます。

さて、映画ですが、なんだか面白かったです。
オダギリジョーがゆるいおもしろさを出すのは期待通りでしたが、
よく分からないのですが、やっぱり親近感的なものを感じました。

ストーリーは特になんてことはないのですが、
最後に一度だけ話しが非現実的な部分があり、
そこでストーリーが断絶してしまいます。
この部分がどうにも意味がわかりませんでしたが、
この部分がすごい重要なようにも思いました。

2006年11月15日水曜日

映画「clash」

クラッシュという映画を見ました。アカデミー賞を受賞した作品で、社会派です。アメリカ ロサンジェルスを舞台としたヒューマンドラマと帯には書いてありました。

黒 人、アジア人、アラブ人、所得の低い白人、権力やお金を持った黒人、中国人、白人が混在するロスの日常を描いているであろう映画です。実際にロスに住んだ ことがないので、誇張はされているのではないかとは思います。僕には頭で理解できても本当のことは理解できない世界なのだろうなぁと感じました。

僕が感じた映画の主題は、人の心は良い部分も悪い部分も持っているということではないかと思いました。性善説、性悪説ではなく、両方を持ち合わせている存在だということだと思います。

映画では、前半にロスではこんなに人種差別や格差があって酷い社会だぞというのを見せておいて、
同じ登場人物が状況が変ると良いこともするし、逆に前半は善人を演じていた人物が最後に人を殺し遺棄してしますというストーリー展開です。

僕の感じたものだけでは説明がつかない部分があり、まだモヤモヤ感があります。人が人にランクをつけるという行為の問題点は奥深いのだろうと思います。もっと、考えてみる必要があります。

2006年11月5日日曜日

前川國男展

文化の日に前川國男展に行ってきました。
かなり、充実した展示で、前川國男の半生を2時間くらいでふりかえりました。かなり疲れます。

今、僕が考えていることよりもかなりスケールの大きなことを前川國男は考えていたのだと思います。時代の問題もあるとは思いますが、僕のスケールはまだ住宅規模ですが、前川國男は都市から建築を考えている印象を受けました。

明日まで展示はやっているので、福岡でこれだけ充実した建築家の回顧展はないとおもいます。是非、足を運んでください。

2006年10月30日月曜日

美しい都市・醜い都市―現代景観論


約一ヶ月ぶりの更新です。
精神的にも肉体的にもハードな毎日でなかなk更新ができませんでした。
さて、「美しい都市・醜い都市―現代景観論(五十嵐太郎著)」を読みました。
大学の研究室では、景観について研究を行った関係上、本屋でそく買いしてしまいました。
全体は2部構成なっており、前半は、日本の都市景観についての論考、後半は、世界の都市景観やアニメ上の都市についての論考が書かれています。

今回、特に惹かれた点は、
良いデザインとはなにかということについての見解です。
端的に言うと良いデザインは、百人百様であるということです。
まさに、僕の目下の悩みもそこになります。
僕が良いとするものと世間的に良いとされるデザインの間の断絶をそのままにしておいてもよいのか。はたまた、こちらが歩み寄るべきなのか。ということです。
住 宅という観点から考えますと、一般的に好まれるものとして、ログハウス調や欧米を思わせるデザインではないかと思います。これは、それ風であろうがそのも のを忠実に再現していてようが、僕の好むところでありません。ただ、僕の好むデザインを好むクライアントにだけ設計を行うことや僕の好むデザインを押し売 りすることに社会的な意味があるのかは疑問があります。

開けている見通し良い場所からの景観は、細かなエレメントに煙突など一般的に好ま れないものがあっても、気持ちが良いと感じる。デザインでは、時代性や趣味趣向を抜きに語れる要素にプロポーションがあると思う。デザインのよりどころに なるものはこのあたりしかないのかもしれません。

本の内容は、悪い景観として、挙げられるアジア的な広告が溢れる街や機能性を重視して工 場などが本当に悪い景観であるかについて疑問を呈している。また、日本橋の高速道路の地中化問題に対し、現在の日本的な景観とは何かについて述べている。 押井守のアニメにおける都市観やテーマパークの都市観、幕張の都市計画、アジアの急進する都市のカオス的な景観、平壌の都市計画、日本のセキュリティー重 視の都市など多岐に渡る都市の考察を行っている。

2006年10月7日土曜日

住宅の射程


建築の射程」読了です。
以前にギャラリー間で開催された。
現代住宅展の講演を本にしたものです。
講演者 磯崎新、安藤忠雄、藤森照信、伊東豊雄の4名です。
偉大な建築家が住宅について語ります。

磯崎新は、住宅は建築ではないと言い、安藤忠雄は、住宅は建築の基本と言う。
藤森照信は、日本の最新の住宅に新たな潮流の可能性を感じ、伊東豊雄は、サランラップシティからそんなに変わっていないと感じている。

最新の狭小住宅には社会に対しての主張がなく、あくまでもnLDKの範疇の中から微細な変化を与えた住宅が生まれているという状況で、住宅を建築と呼ぶのかと磯崎は言う。
伊東豊雄は、果たして住宅に社会的な主張が必要なのか分からないという。
た だ、共通している主張は、大家族という形態から核家族になり、家族の中のプライバシーが求められ、生まれた住宅の形の延長では、現在の個人が直接社会と繋 がりを持つケータイ社会で機能するのかどうかということにある。その方向を助長していくような住宅が良いのか、家族への回帰が求められているのか定かでは ない。

興味深いのは、西沢立衛は、自作の森山邸をオープンな住宅にしたと解説しているが、実際に訪れた伊東豊雄は、開口部が大きくオープンになっているが、住んでいる人の熱気のようなものが外に伝わっておらず、透明な膜で包まれている状況から脱却できていないと見ている。

個 人的には、建築とは、気持ちの良い空間にあるのではないかと思っている。社会に対してテーマの定義は必要ではないのではないかと思う。ただ、伊東豊雄さん がいう社会に対してどうあるべきかという問題、現在の社会情勢のなかでの家族のありかたについて、何が正しいのかはまだ見えていない。

2006年9月28日木曜日

まともバカ


まともバカ」を読了しました。本屋さんで軽く立ち読みしたら、都市について書かれていたので読むことにしました。
結構、興味深い本でした。
都市については、脳化したもの(人工物)最終形であり、すべての自然物(予想不可能なもの)を排除しているという論です。
人 間は脳と体の二つに分けて考え、脳から生まれてくる意識的で予想可能なもの(→人工物)の最終携帯が都市です。現代の都市は、より完璧な制御を求める余り 自然をすべて排除しています。そのため、人間の体の部分(→自然)の居場所が無くなってきていることが問題だと。特に顕著に表れているのが死という問題で 以前は家で死ぬ人もたくさん居たそうですが、現在では皆病院で死にます。これも死という自然現象を都市から見えない部分に隔離しているからだそうです。こ れは、伊東豊雄のサランラップシティと同じこと言っているのではないかと思います。汚い物や見たくない物(→自然)をサランラップのようなもので巻くこと で綺麗に見せる都市をサランラップシティと定義していたように思います。まさに、同じ事だと思います。
こらからの都市に求められる条件として、脳で作った都市という社会の中に、自然な存在である身体を取り込む方法が求められているようです。現在の都市では、身体を入れる際に「みなし」として、服を着て、身体が取り替え可能であるように振る舞っていると言います。
この話から発展して、建築についても意見が述べられていました。住むために一番楽な環境、安心できる環境は、個人がそれぞれ持っている心と身体(意識的なものと自然なもの)のつりあいよく落ち着いている場所なのではないかということです。
こ の本で一番考えさせられた言葉のひとつに、「人間が作る物は所詮は脳の中にある設計図を形にしたものでしかない」です。僕がこれから作るであろう建築は、 僕の頭にあるものであると考えると、もっと新しいものを作るためには、別の方法論が必要なのではないか。僕の作った住宅に住むことは、僕の頭の中に住むこ とになり、果たしてそれは幸せなのか。考えさせられます。
また、こんな記述もあります。「現在とは、当然起こるべき未来、予定された未来、決まっ てしまった未来のことである。逆に子供の持っている財産は、何も決まっていない未来である。このため、すべてを予定していくということは、子供の財産を 奪っていくということに繋がる」。かなり価値観が変わる言葉でした。建築に当てはめると、予想される用途に対応するためにワンルームを作り対応するという ことが良しとされてるきらいがありますが、これは果たして良いことなのかと疑問に思いました。具体的にいうと子供は将来出て行くから子供室は簡易的に仕切 りましょうという考え方がよく有ります。これも大人の視点であって、子供にとって良いことなのか分からなくなりました。
この他にも「言語について」「脳について」「現実という概念について」「遺伝について」「好き嫌いについて」「身体表現について」「手入れについて」いろいろな事について考えをまとめてあります。かなり面白い本だと思いますので、一度読んでみてはどうでしょうか。

2006年9月19日火曜日

ラッハ・ドッホ・マール


ラッハ・ドッホ・マール」山中千尋さんの新譜です。
一度、福岡のブルーノートでライブを見ましたが、
とても小さい人なのにとても力強いピアノを聞かせます。
背中の筋肉がすごかったのを覚えています。
ジャンルは、モダンジャズ?になると思います。

2006年9月18日月曜日

台風の日に

台風が来るということで、今日は一日DVDを見ることにしました。
しかも、頭を使わずに見れる系を見ることにしました。
頭を使わずに見たので特に感想もないですが、
以下、簡単な作品紹介します。



「x-men」です。アメリカンヒーローものです。
今日のDVDのセレクトはヒーローものが中心です。
x-menは、もみ上げの人が主人公であまり面白くなさそうなので触れずにいましたが、
美容室の勧めで見ることにしました。しかし、やっぱりあまり面白くなかったです。
日本の漫画の方が面白いような気がします。



香港国際警察」です。
ジャッキー・チェンの香港映画です。
今までのジャッキー映画となんの変りもないストーリー展開には、
吉本新喜劇もびっくりです。ジャッキーは、今でも高所からのダイブを見せ場としています。
自分でCG全盛期の時代に偉いです。惜しまれるのは、全盛期の動きと比べると・・・。



バットマン ビギンズ」です。
渡辺謙がかなりちょい役でした。しかもどちらかというと悪役。
沢山登場するもとと思っていました。
今日のヒーローものの中では一番面白かったと思います。
以前見たスパイダーマンと違い、
ヒロインとは町が平和になるまで結ばれないところが
ヒーローの孤独感が増してよかったです。



メゾン・ド・ヒミコ」です。
オダギリ・ジョーと柴咲コウ主演のゲイの老人ホームを舞台とした人間ドラマです。
これを見るまでに散々ヒーローものを見てきたので、話しに入りきれませんでした。
ゲイという一般社会から見るとマイノリティーな人達の老後って確かに想像がつきませんでした。
この映画のようにはゲイの老人ホームがあるのかは分からないです。
いろいろ考えることはありますが、頭がもやもやしてはっきり表現できません。
実際にいるであろう、ゲイのおばあちゃん(おじいちゃん)はどうやって暮らしていくでしょうか。
社会的には性同一性障害というものが認識されるようにはなってきましたが、
子供を設けることは容易ではないと思います。老後を自分の力で生きるのは難しそうです。
映画の中では、みんなで協力して、外の人は迷惑をあまりかけずに生きていました。
これが答えなのかはわかりません。もっと、社会保障がしっかりすべきところだと思います。


今日見たヒーローものに共通する点は、「罪を憎んで人を憎まず」という考え方にあります。
ある意味で、アメリカのテロ後の政策へのアンチテーゼなのかもしれません。

2006年9月14日木曜日

ハリガネムシ


「ハリガネムシ」
をよみました。
数年前の芥川賞受賞作品です。
話しの内容はかなりコアですので、内容は省略します。
ハリガネムシとは、寄生虫でカマキリに寄生するそうです。
成虫になったときにカマキリを水辺に誘導し、
カマキリが水に浸かるとおなかを破って外に出てくるそうです。
どうやって、カマキリを誘導するかは分かっていないとのことです。
作中にハリガネムシの生態について書かれてはいないのですが、
主人公とその廻りにいる人は、まさにハリガネムシに寄生されたカマキリのように
身の危険・破滅があると分かっていながら、そこに向かってしまいます。
そこが話の本題となり、人は誰しももっているであろうこの生態に従って生きる人
その部分を騙して生きる人が存在し、後者がまともな人間で前者はおかしな人間と
に分けられています。物語の中では主人公は堕落していきます。
果たして、どちらの生き方が正しいのでしょうか。
作者も曖昧なまま物語を終えていました。

2006年9月13日水曜日

AUDIOSLAVE

AUDIOSLAVEのREVELATIONSを購入しました。
前作までは、RAGE色が強かったのですが、
3作目で彼らの音が完成した感じがします。
かなりロックです。分類はいろいろとあるのでしょうが、
僕の中の定義におけるロックってこんな音です。

2006年9月8日金曜日

ネコの他界

実家のネコが他界しました。
ここ1ヶ月くらいは、食事はとらずに水を飲むだけだったそうです。
お盆に帰ったときは、かなり弱っていてやせ細っていました。
明らかに、死に向かっていした。
ご飯を1ヶ月も食べなかったことを考えると、
自分がもうじき死ぬことは少なからず覚っていたと思います。
病気でもなく老衰ですし、ある意味で生きるためにご飯を食べるという行為を止め、
死に向かって行ったネコの気持ちは一体どんな気持ちだったのかなと想像します。
よく頑張った。と思って、死を迎えてくれていれば、何も言うことはありません。
死に際は詳しく聞いていないので、定かではないですが、
ここ1ヵ月間の準備期間を経て、安らかなものだったのではないかと思います。
人間も実感はなくとも、死に向かって歩んでいるのだから、
最後の時のために準備を怠らないように、最後に悪あがきしないように。
死を意識して生きてきたいと思います。

2006年8月28日月曜日

「貝からみる風景」

続いて、「八月の路上に捨てる」に併録の「貝からみる風景」 を読了しました。
「八月・・・」とは、逆の立場から同じテーマについて書かれているように思います。
2つで1セットなのかもしれません。

2006年8月25日金曜日

「八月の路上に捨てる」


2006年上半期の芥川賞受賞作品「八月の路上に捨てる」を読了しました。
正直、内容に厚みを感じませんでしたが、文章力や描写能力が高いので、
スラスラと一気読みできるような作品です。
作品のテーマは、人間関係の難しさみたいなことなのではないかと思います。
お付き合いしている関係が最適な人とは、結婚してもうまくいかないし、友達関係でもない。人と人は、それぞれベストの関係というものがあり、その関係の時、始めてうまくいくのではないか。という事を問いかけらえます。
主人公と同僚の女性は、自動販売機の補充を行う道中に、離婚という過去を振り返るというスタイルの話です。読んでいて苦はないのですが、盛り上がりもないです。そんな小説です。

2006年8月23日水曜日

美しい国へ


美しい国へ」を読みました。
話題の人安倍晋三さんの本です。
若い人にも読んでもらいたく新書形式での出版に至ったとのことですが、
実際とても売れているみたいなのでミーハー心で読んでみることにしました。
安倍さんの自伝的半生から始まって、
少子化問題、憲法改正などの政治理念的なことを綴っています。
元々、安倍さんのことを胡散臭い人ではないかと思っていましたが、
本を読んで改めて胡散臭い印象が強くなりました。
政治家全般に言えることなのかもしれませんが、
基本的に俺最高感があります。
特に自衛隊の問題や自衛権の問題で感じたのは、
今までやってきたけど、結局誰も戦争なんかしなかったでしょう。
だから、憲法を改正して自衛権を持っても大丈夫でしょう。とう論調でした。
でも、これは結果論でしかなく、実際、軍隊を持てば、
今まで0%だった可能性が1%になるってことだと思います。
結果論的思考は、ちょっと浅はか過ぎるように思います。
いざ日本が戦火に巻き込まれた時にアメリカの若者が命を投げ打って
日本を守るという今の日米間の構図が本当に機能するのかという問いかけには、
有事のもし起きたら、日本はやばいなと思いました。
格差社会についての考え方も微妙に俺はお金持ち感が感じられ、
本当に底辺のことを考えているのか疑問を持ちました。
共感をもてたのは、日本って国に自信と誇りを持ちましょうということを言っている点です。
これ、養老さんと同じ感はありますが、そのほうが幸せだろうと思います。

2006年8月13日日曜日

蟲師

「蟲師」(漫画)を読みました。
不思議な現象を蟲という生物?ですべて説明可能としています。
とてもおもしろい漫画です。
日本において、漫画の地位はもっと上がるべきだと思います。
サブカルチャーとしてはかなり評価が上がっていますが、
あくまでサブカルチャーの範囲内です。
漫画から学ぶことも多ですし、日本の漫画は哲学的でもあると思います。
アメリカの漫画は、勧善懲悪ですべて事が済んでしまいますが、
日本の漫画はその先があるから面白いのだと思います。
「蟲師」に関しても、蟲という名称のものは人にとって良いものにつける名ではないように、
物語の中でも実際、良いものとしては描かれてはいません。
しかし、主人公は悪だからといって存在を消すのではなく、
悪は悪なりに生かしておいたりします。そこが日本的です。
庭に関する日本人の考え方も自然との共存を目指し、
決して支配ではないという思想にも通じるところがあるように思います。
その感覚を漫画で学ぶことが可能です。
「蟲師」は面白い漫画ですので、是非読んでみてください。

2006年8月10日木曜日

Get Out My Yard


「Get Out My Yard」ポールギルバートさんのギターインストアルバムです。
ロックが好きな人でなくても、この人知っている方はいらっしゃると思います。堂本兄弟とかいう番組にも出演してました。
日本びいきないかしたギタリストです。

2006年8月9日水曜日

わかったつもり


「わかったつもり」を読了しました。
文章をよりよく読むための問題点とその方法についての本です。
文章をよりよく読むことと建築は似ている部分が多々あるというのが全体に対する感想です。
「文 章をよりよく読む」ための方法は、様々な角度から文脈を検討し、自分の持つスキーマを使い自分の物とすることになります。この作業を繰り返すことで、様々 な角度から文章を検討することが出来、細かな部分部分に新たな関連性を発見することできます。この際、注意しなくてはならないことは、「わかったつもり」 かもしれないという疑念を常に抱くことと、自分のスキーマがただの固定概念ではないかと疑うことです。これは、そのまま建築設計にも当てはまることです。 施主の意向をよりよく読み取り、建築という形に落とす行為は、まさに「クライアントの意向をよく読む」行為が必要なことだと思います。


逆 に、建築との相違点は、「文章を読む」という行為は読み手の解釈や仮定と文章とに整合性があれば、何通りでも解釈があっても構わないとする点ではないで しょうか。建築はある程度、答えは1つにならなければならないと思います。これは建築を仕事にしているからですが、クライアントが最大限満足できる答えを 見付けなければならないからです。プロである以上、最高の答えを見出すことが求められます。

多種多様な事物に対するスキーマを持つこと は、建築をする上でとても重要なことだと思います。また、クライアントの言葉から適切な文脈を見つけ出し、クライアントの細かな要求に建築の形になり得る 関係性をを発見し、建築の文脈を構築することがよりよい建築を作ることになりそうです。

2006年8月7日月曜日

日曜日は

8月6日は、友人の結婚式に行ってきました。
友人は、うちの事務所に3ヶ月くらい居て、
その後中国の設計事務所に就職しました。
言葉も何も分からずに飛び出した勇気は尊敬に値します。
結婚式は、出席者も多く新郎新婦の人柄が表に出たすてきな結婚式でした。
披露宴から2次会の間に元リバレインの地下にあるギャラリーアートリエの展示を見てきました。「生活藝術の冒険」という展覧会でアトリエワンの模型がありました。




上は模型写真です。(アートリエのブログから拝借しました。)

2次会は、呉服町にあるスペイン料理屋さんホニャララで行われました。
ここは普段はフラメンコのライブを行っているそうです。
この日は、貸し切りのため残念ながらフラメンコを見ることは出来ませんでした。
2次会では、新郎新婦の友人を中心に50名ほどが参加していました。
2次会のイベントで見事ipod shafleをゲットしました。
今年一年の運を使い果たした気がしました。

2006年8月5日土曜日

スパイダーマン2

美容院の人からスパイダーマンは面白いから見ろとDVDを借りましたので、鑑賞しました。
スパイダーマン等の娯楽系ハリウッド映画は、何も考えずに映画みたいなと思った時に見るのは一番です。今回は、そんな気分ではなく見たので、印象は良くありませんでした。
良かった点、スパイダーマンの動きがかっこいい。CGが素敵。悪かった点、全体を通してのヒーロー観みないなものを直接的に語るわりに、ストーリーは美談のみで終わってしまう。このギャップはすごいものがありました。
でも、娯楽映画としては面白かったです。

2006年8月3日木曜日

10+1

10+1の福岡オリンピックのプレゼンテーションの部分についてです。
コンセプトの柱は博多湾です。
博多湾という地形的な特性を最大限利用している点を強調しています。
なぜだか分かりませんが、将来的には福岡はベネチアみないになるそうです。
福岡を知るものとして実感は全然わきません。がそうらしいです。
(石山修も同意してました。)
オリンピックの計画自体は、博多湾岸に競技場を配置し、
船で移動をオリンピック動線のメインに据えて、生活動線と区別すること。
最近開発された大型の船舶(内部にコンペンション施設や体育館などがあるくらいでかい)を
選手はマスコミのホテルとし、ホテルの建設を行わないこと。
また、東アジア地区にある国際空港まで飛行機で選手がやってきて、
そこからは船に乗ってやってきて、そのまま宿泊することも練習することもできる。
前回の「東北アジア共同の家をめざして」はこの部分で少し振れられていただけです。
おそらくは深い意味があるのでしょうけれども、深読みはしていません。
最後に、一つ一つの施設を今までのスケールよりも大きな物を作ることで
よりフレキシビリティの高いたてものとするということみたいです。
例を挙げると、バスケットコートが20面くらいとれる体育館みないなものだと思います。
最後のやつは、かなり眉唾ものです。大きければ良いというものではないでしょう。
計画の全体像を知ってみて、僕は結構面白いことが起きるのではないかと思います。
ベネチアほどになるかは疑問ですが、水際の都市として成立することは
観光資源として有効だろうし、東アジア圏との交流を海路でおこなうことが可能になり、
コストの安い物流の場が生まれ、経済の活性化も行われる可能性はあります。
そんなわけで、僕は比較的肯定的に見ています。

2006年7月29日土曜日

姜尚中の政治学入門


「姜尚中の政治学入門」 を読了しました。
読み始めのきっかけは、10+1に福岡オリンピックの基本計画の紹介がされており、
そこで磯崎新が姜尚中の「東北アジア共同の家をめざして」の思想を取り入れたと書いていたことに端を発します。福岡オリンピックについては後日ブログに書きますので、今日はこの本の感想です。
自分自身に政治学特にグローバルな視点での政治学に対する知識が全くといっていいほどなかったため、
この本の詳細の部分は、理解できませんでした。
この本の大筋は、現代の日本とその周辺の政治するために7つのキーワードについて書かれています。
「キーワード」は、「アメリカ」「主権」「憲法」「戦後民主主義」「歴史認識」「東北アジア」が挙げられいます。
始 めの3つに関しては、グローバルな視点での政治の流れについての概要と感じました。端的に述べると、政治は宗教との係わり合いが主題であり解決すべき問題 であり、今起こっている問題も宗教に貴意するものが大きいということでした。後半部分は、日本とその周辺国に焦点を絞り語られています。
「戦後民 主主義」では、戦後の日本とアメリカの関係、高度成長の結果生まれた豊かさが思想的な飢餓を生み出したことなどが言及されています。歴史気認識がナショナ ルアイデンティティを模索視する世界の流れ、この結果生み出されたものは、各国が自国の美化するような歴史気認識をすることで各国間での認識の違いによる 断絶がいっそう深まっているという内容です。最後に東北アジアについては、東北アジアの歴史的な意味と地政学的な意味の大きさを唱え、東北アジア経済圏を 形成することが今後の世界経済、日本経済の発展に大きな意味があると述べています。ここでいう東北アジアとは、日本、韓国、北朝鮮、中国、ロシア、台湾、 そしてアメリカを含むかなり大規模な経済圏を指しています。最後の東北アジアの話は現在のはなしなので分かりやすく、納得がいくものでした。

2006年7月28日金曜日

ロボッツ

映画「ロボッツ」を鑑賞しました。
映画の主題は、「すべてのものにチャンスがある。目の前の事を一生懸命やり続ければ、大きなことをやり遂げることができる」です。
基本的に子供向けの映画なので、言語で直接主題を訴えていました。
基本的に楽しめる映画でした。
映像もCGがとても綺麗でした。
アメリカの映画なので、最後は勧善懲悪で終わってしまいます。
ここが上の主題と多少異なるのかなという印象を受けました。
罪を犯しても、頑張るチャンスは与えるべきだという方が僕的には良かったのではないかと思います。
前回のステルス同様、主人公はロボットです。
今回の映画は、全ての登場人物がロボットであるため、ロボット=人間なので、
前回のような、人間とコンピュータ(ロボット)の違いに対する思想はなかったです。

2006年7月27日木曜日

ステルス

映画「ステルス」を鑑賞しました。
大雑把にいけば、人工知能を持ったステルス戦闘機の話です。
最終的にその戦闘機は不慮の事故で感情を持つ存在になります。
その結果、人間を殺してしまうことにもなりますが、
最終的には主人公とヒロインを助けます。
でも、死んだ人間の仲間には敬意を表し、
壊れてしまった人工知能には敬意を表さないで終わってしまいます。
そうなると、思想として全然現在と変らないんじゃないのかと思います。
アメリカ的と言えば、アメリカ的なのかもしれません。
人工知能に感情まで持たせるストーリー展開をしておきながら、
結局、機械は人間とは違う扱いだよってことで終わる。
この映画の意味が分かりません。
鉄腕アトムだって、ロボットだけど、
彼を人間として扱っている人を正義として描いているのに。
学習が出来、意思を持って行動が出来、感情がある。
果たして、何を持って人間というのでしょうか。
人間として、他にもっていれば人間と呼べるのか。
もっと他にあるのかもしれないけれどもそこが分からない映画です。

2006年7月21日金曜日

シンポジウム

先日、AIKのオープニングレセプションと八幡アートまちづくりシンポに行って来ました。
AIKについてですが、アート・インスティチュート北九州が正式名称です。
AIK(エイアイケイと発音)は、ギャラリーソープの宮川さんとキャンディーファクトリーの古郷さんがメインのアーティストとなり、
アートをwebで配信することをメインプロジェクトとするNPO団体です。
言葉にすると結構、ありがちだとおもいます。
既にweb(アートオンライン・ジャパン)というホームページを立ち上げていて、世界中のキュレーターからオファーがあれば、 世界津々浦々でモニターを設置し、作品をダウンロードし展示することが興っているそうです。
さらにこの考えを発展して、北九州ビエンナーレみたいなものを開催するのですが、 その会場を北九州だけではなく、世界中の都市としてネットワークてきなビエンナーレを目標をしているそうです。
最初の話だけではありがちな話ですが、最終的な目標まで聴くとなんだかワクワクしてきませんか。
建築には、適用しにくい話ですけれども、現在、巷に溢れている建築系のサイトは全然ワクワクしないので、次のステップに進むようなワクワクすることを模索したいです。

続いて、 シンポジウムの方ですが、こちらも先程のAIKの理事の1人、毛利嘉孝さんが司会を勤め、北九州にゆかりのある建築家、アーティスト、写真家、学芸員さんがディスカッションを進めるシンポジウムでした。
ここで一番、おもしろかった言葉は、「まちづくりには、古くから3つのものが必要と言われていて、 その3つとは、”よそもの”、”わかもの”、”ばかもの”」だそうです。キャッチーな良い言葉だと思います。
今回のシンポジウムで考えさせられたことは、まちづくりの目的て一体何なのかということです。
今までは、経済が衰退した地域の復興的なものをまちづくりと捉えてきた節が自分にはありました。
しかし、実際、衰退した経済がもう一度復興することなんてそうそうあるものではないように思います。
もっと、経済を追いすぎて希薄になった人間関係の修復や文化的な営みなどを地域に根付かせて、お金がなくて楽しく生きがいをもって生きていくことができる町を作ることをまちづくりというのかもしれません。
その時初めて、アートがまちづくりに役立つだろうし、建築が役立つのかもしれません。

最後に毛利嘉孝さんについてですが、
文化=政治 グローバリゼーション時代の空間叛乱」という本はかなり面白かったです。
内容は、カーニバルやデモなどの政治運動に関するものです。

2006年7月18日火曜日

山笠があるけん博多たい。


博多祇園山笠に行ってきました。
2年連続で参加です。
山笠は、短距離と長距離の2つのタイムを競うのですが
短距離は、櫛田神社の境内を1周するタイムを競い、
長距離は、ゴールまでのタイムを競います。
詳しくは、こちらを参照して下さい。
今年は、櫛田神社を出たところで観戦でしたが、
櫛田が終わった後なので、どこか安心感があり、
後は楽しむぞといった感じがしました。
去年は、櫛田入り前の山が控えているところでの観戦でした。
ここは、すごい緊張感で見てるこちらまでドキドキしました。
どちらもそれぞれの良さがあるのですが、
あの緊張感がとても好きでした。
来年は再度、緊張感を味わいに行きたいです。

2006年7月17日月曜日

映画と小説

昨日、映画「ダヴィンチ・コード」を見ました。
文庫になった時点で、小説の方は読んでからの映画ということになります。
廻りの小説を読まずに映画を見た人の話ではあまり面白くないという反応でした。
僕も小説の方が映画よりも面白いのではないかと思います。
皆さんの意見では、キリスト教に対する知識やダヴィンチに関する知識、
秘密結社に対する知識がないので、面白くなかったという意見が多いようでした。
確かに、その辺の内容を理解していた方が面白いのかもしれません。
でも、僕の印象ではその辺の知識がない方が、良い悪いは別として、
そういうものかと思い、ストーリーにあまり疑問を持たずに見れるので、
そこは問題ではないのではないかと思います。
では、なぜ僕は小説の方が面白いと思ったのか。
その理由は、心理描写の有無ではないかと思います。
小説では心の声で心理の描写が可能なため、心理戦が描かれています。
逆に映画の方は、その辺がうまく描かれていないため、
主人公がどうしてその選択をしたのかが良く分からない場合がありました。
ここが分かりにくいために映画は面白くないと思います。
よく、本は絵がないので想像力を働かすため、映画や漫画よりも良いとされています。
今回のことで考えたのは、映画は表情からこの人の心理を想像することが必要があるということです。
現実の社会で必要となる想像力は寧ろ、後者ではないかと思います。
この考えでは、小説よりも映画の方が人間が生きていくために必要な想像力の鍛錬ができるのかもしれません。
今回は洋画のため言葉のニュアンスや言い方は分からず、字幕に頼ってしますので、その点では不利だったとは思います。

うちの事務所のボスがいつも語っているのは、
打合わせの内容から施主の要望を引き出しますが、
言葉には出てこない内面を見抜かないと彼らが本当に求めている住宅は作れない。
この言葉につながる事ではないかと漠然と考えました。

2006年7月16日日曜日

balance in design


Balance in desin」という本を読みました。
何かをデザインをする場合に、コンセプトなど抽象的な部分を練り上げ、
その後、表現する媒体でデザインをするのが一般的だと思います。
自分にも当てはまりますが、コンセプトは、与条件や時代背景などから考えます。
しかし、いざ形に落とし込む際のデザインのかっこよさが必要になります。
このかっこよさというものが厄介で、自分がかっこよいと思えばそれが一番良いという
自分の美意識に対する自信のみでは限界があるのではないかと思います。
そこで、今回この本を読みました。
前置きが長くなりましたが、内容は、黄金比を基本とするプロポーションにまつわる話です。
大学でも言葉と概念としては教育されましたが、役にたてることが出来ていませんでした。
ここでは、いろいろなデザインの事例を黄金比を使い説明してくれます。
そこで分かったことは、最終の形態では出てこない補助線の引き方が重要ではないかということです。
補助線を引く際に、理論的で幾何学的に美しいとされるプロポーションを用い、デザインを決めていく。
結局は、補助線の引き方にセンスは求められるのですが、
全体のバランスが崩れないようにする手段としては有効なようです。

2006年7月15日土曜日

ソーシャルブックマーク

ソーシャルブックマークを作りました。
ある意味で僕の趣向が分かると思います。
こちらをどうぞ

2006年7月14日金曜日

イレイザー



「イレイザー」を購入しました。(一番上)
レディオヘッドのトム・ヨークさんのソロアルバムです。
レディオヘッドとソロアルバムの違いが何なのかは分かりませんでした。ソロである必要性がないのかバンドである必要がないのかは分かりませんが。




因みに、レディオヘッドのCDを始めて買ったのは高校生の頃です。
パブロハニー」というタイトルでした。ジャケ買いです。(上から2番目)子供が花の中にいる感じと色味が好きでした。

2006年7月8日土曜日

日本人の正体


「日本人の正体」を読みました。
養老孟司とテリー伊藤の対談を本にしたものです。
基本は、養老さんのいつもの話を対談形式で噛み砕いて話していくというものです。
いつものことですが、養老さんの楽天家具合は、人生なんとかなると思わせてくれます。
対談という形によって、養老さん1人では到達し得ない結論まで到達したのではないかという感じがありました。
会話をすることで自分が考えていなかった自分の考えに到達できる瞬間はとても気持ちがいいものです。
僕に、そんな会話ができる人は1人しか思い出せません。一般的には沢山いるものなのでしょうか。


本の中では、養老さんは体を動かせと主張されています。
建築の仕事では、体をあまり動かしません。図面を書いて、現場の方々に作ってもらわなくてはなりません。
実際に体を動かして建築を作った経験がないと駄目なのではないかと思っています。
新しい物を生み出す場合には、漠然とした感覚が必要になると思います。
構造的な感覚やプロポーションの感覚、温熱環境に対する感覚。物を作るための基礎となる感覚。
本を読んだり勉強して得ることもできますが体で感覚を覚えなければ、
新しいものを生み出すための感覚が身につかないように思います。
もし、自邸を建てる日がやってくるのであれば、セルフビルドしたいものです。

2006年7月5日水曜日

文房具

デザインという言葉が消費され始めて久しい昨今、新たなデザイン文具メーカー「Craft Design Technology」の誕生です。アマダナの鄭秀和がデザイナーで参加しています。興味のある方は、こちらをどうぞ。

2006年7月4日火曜日

嫌われ松子の一生


「嫌われ松子の一生」 を見ました。
2時間近くある映画は苦手なのですが、楽しく見ることが出来ました。
感想を一言で、人生どうにかなるってことでした。
日曜日に、小説を1冊読み、映画を1本見るという贅沢な休日を過ごしました。

2006年7月3日月曜日

灰色のピーターパン


「灰色のピーターパン」 を読了です。
ドラマにもなりましたIWGPシリーズです。
4つの短編で構成されています。
高校生のパンチラ画像を売る小学生の話、強盗に足を壊され夢をあきらめなくてはならなくなった人の話、幼児好きのおっさんの話、当局による風俗と外国人の取締りの話です。
「IWGP」の面白さは、話のスピード感となんとリアリティがあるようなないような感じだと思います。
さ すがにシリーズ5作目ともなるとかなり、失速気味でした。最初の3話はとてもありがちな話で新しさもりません。最後の1話は、逆にリアリティに欠けます。 それでも最後の話がこのシリーズっぽくありました。自分の正義のためなら悪いこともするし悪い力も利用していこうという姿勢が如実に出てました。

2006年6月28日水曜日

ひらめき脳


「ひらめき脳」を読破しました。前出の「天使と悪魔」を間に挟んだため、読み終えるのに3週間程度かかりました。そのため、詳細を忘れてしまいましたが、 なんとなく感想です。一言で表すと、科学的自己啓発本です。ひとつひとつのお話は、なんとなくは誰もが分かっていることなのですが、それを脳化学の見地か らキチンと説明を付けて、「ほら、誰でもひらめくことができるんだぞ。」と啓発する構成になっています。
最後の部分から「ひらめく」ためのキー ワードを抜粋します。「自分の脳の無意識部分との対話」、「会話はひらめきの宝庫」この二つがとても大事なことなようです。前者の脳の無意識部分とは記憶 を司る側頭葉の部分を指し、この部分は意識では制御できない部分だそうです。この無意識の部分を意識の領域と繋げることで、ひらめきに近づけます。具体的 には、自分の感覚を言葉に置き換える作業を行うことが良いです。後者は、他人とのコミュニケーションの重要性です。会話は、偶発性の宝庫であり、瞬間的に 答えることはひらめきそのものなのだそうです。より具体的な表現とし、「行動」、「気づき」「観察」「受容」「理解」「実践」の5つのキーワードが挙げて いました。
脳にはひらめくための「空白」が必要なのだそうです。外的な刺激がない状態の脳は、先に述べた脳の無意識部分が活性化するそうです。そ の時に、無意識の中の記憶が関連付けされていくそうです。「ひらめき脳」になるために、散歩を日課にし脳に空白を作り、ブログを日課にし脳の無意識部分と の対話を行っていこうかと思います。

2006年6月26日月曜日

吉坂隆正展・九州展


吉坂隆正展・九州展の記念講演 内藤廣編に行ってきました。
まずは、吉阪語録
1.思ってないことを言うな。考えてから口に出せ。
1.困ったときは、良心に聞け。
1.一つの穴を10年は掘り続けろ。  などです。
この日の講演は、吉阪隆正の考え方を通じて、建築のみならず、人生についてのお話でした。
吉阪建築は、周辺環境や時代の流れ、都市などの大きなスケールではなく、人間を基本に考えているそうです。その結果、モダニズム全盛の時代にも関わらず、地面との関係が強く感じられる形態となっていますとのことでした。
ま た、細かいディテールに力を入れるのではなく、ノンディテールで建築を構成することで時代の変化に影響を受けない建築になっているとのことです。うちのボ スも似たようなことを言っていて、巾木や木枠、サッシなどの細かい要素に左右されない力を持った建築を作っているから、ディテールは機能性を重視し考える べきだと言っています。建築の価値は、時代を超えることだと考えると時代の変化や経年変化によって変化する可能性があるディテールにこだわることに何の意 味があるのでしょうか。ただ、逆にノンディテールで勝負するとは如何なることかについて深く考察することが今後の自分の建築に対する考え方を大きく左右し そうです。吉阪正隆は人間にその意味を見出していました。僕らは何に重きを置くべきでしょうか。
最後に僕をとてもあせらせることになったエピソー ドです。吉阪さんは、29歳の時に既に教育者としての覚悟を決めていたとのことです。僕は30歳にして覚悟ができていないように思います。ある意味では、 覚悟を決めている部分もありますが、口で言わなくても人に伝わるくらいの覚悟が自分はできていないように思います。後、5年で建築の実務に就いて10年が 経過します。30年は変らない建築への考えを持たなくてはいけません。これからの5年、一層の精進が必要です。
しかし、建築家はかなりの人が「ある種」という口癖を持っているような気がします。いつか流行語になるかもしれません。

天使と悪魔

「天使と悪魔」を 読破しました。ワールドカップの関係でなかなか読み終わらなかったのですが、無事に読み終えました。「天使と悪魔」は、「ダヴィンチ・コード」のシリーズ 第1作です。因みに、「ダヴィンチ・コード」はシリーズ2作目です。読み物として、「ダヴィンチ・コード」よりもエキサイティングで面白かったです。物語 の前半ではローマの名所がたくさん登場するので、ローマに行ったことがある僕は、とても懐かしく昔の旅行のことを思い出せるというメリットもありました。 物語の主題は、科学と宗教の関係についてです。登場人物の一人が、「科学では技術は教えるが倫理を教えない。宗教は技術を使うための倫理を教える。」的な ことを言っていました。これは一理あるなと思います。またある登場人物は、「人のエネルギーの中に神はいる。」と言っていました、言い換えれば、何かに向 かってひたむきに真理を探究することは自分の不安を打ち消し、安らぎを与えてくれる的な意味だと思います。宗教について深く考える契機になる本かもしれま せん。

2006年6月19日月曜日

リンダリンダリンダ


「リンダリンダリンダ」を 鑑賞しました。青春物なので気持ちが分からないかもしれないと思いながらも、レンタルしました。果たして、30歳に高校生の気持ちが分かるのか?結論的に は、30歳には高校生の気持ちはよく分からないみたいです。でも、それなりに楽しめました。ブルーハーツ世代としては、ブルーハーツが懐メロ?さびしい気 持ちになりました。個人的な趣向として、「香椎由宇」さんという人が主演なのですが、エキゾチック美人です。

2006年6月18日日曜日

同じ月を見ている


「同じ月を見ている」を 鑑賞しました。窪塚洋介主演です。窪塚くん復帰作ということでみたのですが、ストーリーと音楽が最低でした。ストーリー最初の30分くらいで最後まで読め てしまうほど、素直なストーリーでした。原作は漫画だそうです。映画化されるくらいですから、原作は面白いのでしょう。となると、監督と脚本が悪いのか? 音楽は、藤原いくろうという人みたいですが、映画「69」の音楽も手がけているそうです(「69」の音楽は特に悪いと思いませんでした)。「同じ月」の音 楽は、昔のゲーム音楽若しくは昼ドラのようにわざとらしくありきたりの捻りのないBGMで安っぽく感じられました。音楽が悪いと映画の質は下がることがよ く分かりました。俳優の演技は、良かったです。窪塚くんも頑張っています。君はそんなキャラだったのって思うくらい役作りはできていました。ゆるい映画好 きの僕は、整形外科医の中田さん(たぶんそんな役名)を演じていた「松尾スズキ」の演技とその役が好きでした。

2006年6月17日土曜日

オスカーニーマイヤー


オスカーニーマイヤーの自伝的ドキュメンタリーを見ました。
率直な感想は、この人は、本当に建築家かということです。
映画の印象では、政治家であり彫刻家のように感じます。

4年という短いスパンで一つの都市にある主要な建築物を設計したことは、想像できないくらいすごいことです。
ニーマイヤーの建物は、造形的で映像や写真では綺麗でシャープで完璧な建築に感じます。
こ のドキュメンタリーで、彼は自分の作品をスケッチを描きながら説明します。そのスケッチの線の強さは感動的でもあります。また、彼が建物を説明するときの スケールがとても大きいことも気になる点でした。スケッチを描くスケールから想像すると、彼の建築を考える際のスケールは、都市スケールであったり、森の スケールであったり、縮尺が何千分の1のスケールである気がしました。僕の建築を考える際のスケールの感覚とは、明らかに違うスケール感覚です。大きなス ケールで考えられた建築が、その空間を体験した人が気持ちいいと感じることができるのだろうか疑問に思いました。一度、行って見てみないことにはこの疑惑 の答えはでません。地球の反対側ですが、いつかブラジリアに行き、確認したいと思います。

2006年6月15日木曜日

亀は意外に早く泳ぐ


「亀は意外に早く泳ぐ」という映画を鑑賞しました。
三木聡監督作品です。
この監督さんの作品は、ゆるいです。おもしろかったと思うのですが、
何がおもしろかったか考えると思い出せないところがすごいのかもしれません。
他にも「イン・ザ・プール」、「時効警察」などを鑑賞しましたが、
すべてゆるいです。ただ、ツボに入るとたまりません。
豆知識として、一つ。三木聡さんは、「ごっつええ感じ」で「リアルポンキッキ」を
書いています。リアルポンキキ、かなりのものでした。
是非、皆様をご鑑賞を。
因みに、「イン・ザ・プール」は、原作の方が命題がはっきりしていて、
僕的には好きですが、ゆるい感は、映画の方が上かもしれません。
お暇な方はココを見て下さい。高須光聖さん主催の放送作家さんの対談集です。

2006年6月13日火曜日

超合法建築図鑑


超合法建築図鑑を読みました。建築には、法規が付きものです。九州では土地が広いので斜線制限や高さ制限で建物の形状が決まることはあまり考えられません。
こ の本は、東京という地価が高いために区画が小さい地区の建築物を紹介しています。土地の値段が高て小さくても、求められる建築のボリュームは変わりません ので、法規の限界まで建築するが要求されます。その結果、紹介されている建物のような法規で形態が決定してしまうことが起こります。
紹介されてい る建物には、法規のためにその形状になってしまったという建築物と、法規をうまく利用してデザインとして取り入れている建築物があります。建築家たるもの 後者を目指さなくてはなりません。時にはクライアントの要求を満たすために、法を都合良く解釈し法の抜け道を見つけ出すこともあります。やはり、皮肉の策 的になり当初考えたことをそのままに形にできないこともあります。今、設計している物件でそのような悩ましいものもあります。
法は守らなくてはいけないものですが、法の正当性を疑うことも必要なのではないでしょうか。住環境の良い町を作るための建築基準法によって、画一的な町並みになってしまっていることは否めません。そろそろ、建築基準法も全面改定の必要を感じます。

2006年6月12日月曜日

フォーリーワークショップ

福岡アイランドシティ中央公園のフォーリーのワークショップの説明会に行ってまいりました。
フォーリーとは、東屋のことです。
一昨年に松岡恭子さんがワークショップを管理をし、フォーリーを完成させています。
今回は、私が勤める事務所の所長がその大役をお受けしております。
説明会の内容を簡単にしますと、
アイランドシティ全体の概要→伊東さんによるぐりんぐりんの説明→松岡さんによるフォーリーの説明
→敷地の説明→募集要項の説明
でした。
九州だからなのか学生さんはやはりおとなしい感じでした。
今日一番感銘を受けたのは、
学生からの「リアリティをもとめるとはいかなることか」という質問に対しての回答でした。
伊東さん以外の建築家の答えは、素直にリアリティに対する答えで
リアリティに対しての答えとしては、納得な答えでした。
しかし、そこは伊東さんは、世界を相手に戦っている人だけあって、違いました。
伊東さんの答えは、コンセプトなど頭で考えるのでなく、
今の公園を観察して、どんなものをみんなが求めているか。
どんなものがあれば、子供が遊んでくれるのか。
具体的に今日の夕飯のメニューを考えるように考えれば良い。
といった内容のものでした。
まさに学生さんに今、必要なアドバイスを適切にしていると感じました。
学生さんはリアリティとはという質問がしていましたが、
本当はそこはそんなに問題でなく、
その深層心理を読んで、具体的に何から始めるべきかという答えを出す。
伊東さんの洞察力に感服しました。
伊東さんの言葉には、自分以外の人に多くを求めているわけではなく、
それぞれの人にそれぞれの役割があって、その歯車を噛み合わせて、
より良いものを作ろうよ。という意思が感じられました。
学生さんにすごいことや新しいことを求めてはいるのだろうけれども、
それで相手にストレスを感じさせることなく、
もっと、自由に発想させるための環境というか立ち位置を与えている印象を受けました。
こんな上司であれば、組織はより良い方向に向かうのだろう。
このような考え方で組織を作れる人になりたいです。
ワークショップもこの考え方で、コンペ形式のように人を選ぶのではなく、
組織として、みんなで良いものを作るような難しいけれども、
この先の組織のあり方にも関わるようなワークショップにしたいとのことでした。
僕もできる限り、協力してその方法論を自分のものにしたいものです。

2006年6月6日火曜日

佐藤可士和


penは、佐藤可士和さんの特集でした。
アー手ディレクターの仕事のスピード感には、驚愕しました。
建築よりも断然のスピードだと感じました。
建築家が企業とまでは行かなくても
店舗のディレクションすることは良く聞きますが、
企業のディレクションを建築家がするのは、
スピードが要求されるのだと感じました。
それ以外は大きくは違わないのだけれども

2006年6月3日土曜日

My ラーメン屋

福岡出身の僕には、Myラーメン屋と呼べるラーメン屋が3つあります。
一つは、まだ幼稚園に行く前に親と行っていた「香椎亭」というラーメン屋です。
もともと、香住ヶ丘にあったのですが、今は、新宮にあります。
次は、高校時代に高校の隣にあった「はかたラーメン」です。
「はかたラーメン」はチェーン店なので、福岡市内に何件かかりますが、
僕は福岡高校横店(僕命名)が美味しいと思います。
高校時代は、カウンター形式の普通のラーメン屋さんでしたが、
今では食券制になって、ラーメン屋の雰囲気は今一になってしまいがっかりです。
3つ目は、父が現在住んでいる家の近くにある「、、(点々」です。
僕自身が現在北九州在住のため、Myラーメン屋というほどには食べてはないのですが、
美味しいです。替え玉の際に、チャーシューの切れっ端を一緒に入れてくれるのが、
うれしいところでもあります。
そんな訳でそれぞれのお店の場所は、
香椎亭:旧3号線沿のtsutaya新宮店の近く
はかたラーメン:福岡高校横
点々:南区笹原駅と井尻駅の間くらい
(場所の説明が大まか過ぎ)

2006年5月24日水曜日

東京タワー

東京タワーを読みました。
前半は、家庭と家(建築)と自分の町ということについて、語ってあり。特殊な家庭環境だとは思いますが、建築と家族について、考えながら読むことができました。終盤は、涙でした。
人の人生で起こりうることを時系列に並べてあり、自分も経験したことやこれから僕も経験すること、現在の自分の年齢に近い部分では、自信をもらったり、不安になったりとダイレクトに気持ちを動かされました。
僕は、今まで親孝行らしいことを何一つしていないので、もっと、親といっしょに居る時間を増やそうかと思います。

2006年5月21日日曜日

レッチリ


レッチリのニューアルバムを購入しました。
まだ、じっくりとは聞いていませんが、レッチリ節全開です。
レッチリはもう長いこと活動しています。ローリングストーンズなんかはもっと長く、やっています。
ロックバンドは、長いこと同じチームでやっているのに、なぜ、建築家のチームは、続かないのでしょうか。
長くコンビを組んでいると言えば、漫才界にもたくさんいますよね。
建築家で長く同じメンバーで続いている事務所はありますか?建築夫婦は幾人かいますけれども。僕は、そんな設計事務所を作れたら良いなと思います。
-了-

2006年5月19日金曜日

オープンソース

前回の続きです。
WEB進化論では、ソフトのオープンソース化についての考察が書かれていました。
これを建築にどう応用できるかを考えてみます。
単純な話では、納まり等の情報をフリーにすることが考えられます。
フリーな情報を議論の場にあげて、より高度な納まりにみんなでバージョンアップさせる。
これは、オープンソースのソフト、LINAXと同じ考え方です。
技術的な面では、オープンソース化することは容易な気がします。
デザイン面で、オープンな情報の交換からより
優れたデザインを作り出すことは可能でしょうか。
アノニマスに情報をオープンにすることでのデザインの昇華は、
まだ成功例は無いかと思います。
関係者間での情報の公開による、デザインの昇華は現在も存在します。
次のステップとして、思考の過程を関係者間で共有することで
問題意識の共有化が明確になり、よりよい建築に行き着ける可能性を感じます。
思考の変遷を時系列に並べ、関係者が共有するシステムをweb上に構築することで
webの可能性を建築に取り込むことになるかもしれ

2006年5月17日水曜日

web進化論


web進化論を読了。
googleやamazonのweb戦略、Web2.0、ロングテールなどの
新しい概念が多くあり、興味深い本でした。

建築自体にwebの方法論を取り入れることは、
建築が最終的にリアルな空間・物体として、
アウトプットされるものであり、
場所といものの影響が大きい、
又、本やCDなどよりもより大きなお金が動くなどの、
建築の重さにより難しいだろうと思う。
現在のWeb上の建築関連のビジネスモデルは、
Web上のコンペサイト、プロデュース会社などだが、
特にWeb2.0を利用をしていない。今までにないシステムという感じはしない。
これから先の、建築界でのWeb上のビジネスモデルを考える上で、
Web2.0の力は大きいのではないだろうか。
-了-
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