2006年9月28日木曜日

まともバカ


まともバカ」を読了しました。本屋さんで軽く立ち読みしたら、都市について書かれていたので読むことにしました。
結構、興味深い本でした。
都市については、脳化したもの(人工物)最終形であり、すべての自然物(予想不可能なもの)を排除しているという論です。
人 間は脳と体の二つに分けて考え、脳から生まれてくる意識的で予想可能なもの(→人工物)の最終携帯が都市です。現代の都市は、より完璧な制御を求める余り 自然をすべて排除しています。そのため、人間の体の部分(→自然)の居場所が無くなってきていることが問題だと。特に顕著に表れているのが死という問題で 以前は家で死ぬ人もたくさん居たそうですが、現在では皆病院で死にます。これも死という自然現象を都市から見えない部分に隔離しているからだそうです。こ れは、伊東豊雄のサランラップシティと同じこと言っているのではないかと思います。汚い物や見たくない物(→自然)をサランラップのようなもので巻くこと で綺麗に見せる都市をサランラップシティと定義していたように思います。まさに、同じ事だと思います。
こらからの都市に求められる条件として、脳で作った都市という社会の中に、自然な存在である身体を取り込む方法が求められているようです。現在の都市では、身体を入れる際に「みなし」として、服を着て、身体が取り替え可能であるように振る舞っていると言います。
この話から発展して、建築についても意見が述べられていました。住むために一番楽な環境、安心できる環境は、個人がそれぞれ持っている心と身体(意識的なものと自然なもの)のつりあいよく落ち着いている場所なのではないかということです。
こ の本で一番考えさせられた言葉のひとつに、「人間が作る物は所詮は脳の中にある設計図を形にしたものでしかない」です。僕がこれから作るであろう建築は、 僕の頭にあるものであると考えると、もっと新しいものを作るためには、別の方法論が必要なのではないか。僕の作った住宅に住むことは、僕の頭の中に住むこ とになり、果たしてそれは幸せなのか。考えさせられます。
また、こんな記述もあります。「現在とは、当然起こるべき未来、予定された未来、決まっ てしまった未来のことである。逆に子供の持っている財産は、何も決まっていない未来である。このため、すべてを予定していくということは、子供の財産を 奪っていくということに繋がる」。かなり価値観が変わる言葉でした。建築に当てはめると、予想される用途に対応するためにワンルームを作り対応するという ことが良しとされてるきらいがありますが、これは果たして良いことなのかと疑問に思いました。具体的にいうと子供は将来出て行くから子供室は簡易的に仕切 りましょうという考え方がよく有ります。これも大人の視点であって、子供にとって良いことなのか分からなくなりました。
この他にも「言語について」「脳について」「現実という概念について」「遺伝について」「好き嫌いについて」「身体表現について」「手入れについて」いろいろな事について考えをまとめてあります。かなり面白い本だと思いますので、一度読んでみてはどうでしょうか。

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