2006年10月30日月曜日

美しい都市・醜い都市―現代景観論


約一ヶ月ぶりの更新です。
精神的にも肉体的にもハードな毎日でなかなk更新ができませんでした。
さて、「美しい都市・醜い都市―現代景観論(五十嵐太郎著)」を読みました。
大学の研究室では、景観について研究を行った関係上、本屋でそく買いしてしまいました。
全体は2部構成なっており、前半は、日本の都市景観についての論考、後半は、世界の都市景観やアニメ上の都市についての論考が書かれています。

今回、特に惹かれた点は、
良いデザインとはなにかということについての見解です。
端的に言うと良いデザインは、百人百様であるということです。
まさに、僕の目下の悩みもそこになります。
僕が良いとするものと世間的に良いとされるデザインの間の断絶をそのままにしておいてもよいのか。はたまた、こちらが歩み寄るべきなのか。ということです。
住 宅という観点から考えますと、一般的に好まれるものとして、ログハウス調や欧米を思わせるデザインではないかと思います。これは、それ風であろうがそのも のを忠実に再現していてようが、僕の好むところでありません。ただ、僕の好むデザインを好むクライアントにだけ設計を行うことや僕の好むデザインを押し売 りすることに社会的な意味があるのかは疑問があります。

開けている見通し良い場所からの景観は、細かなエレメントに煙突など一般的に好ま れないものがあっても、気持ちが良いと感じる。デザインでは、時代性や趣味趣向を抜きに語れる要素にプロポーションがあると思う。デザインのよりどころに なるものはこのあたりしかないのかもしれません。

本の内容は、悪い景観として、挙げられるアジア的な広告が溢れる街や機能性を重視して工 場などが本当に悪い景観であるかについて疑問を呈している。また、日本橋の高速道路の地中化問題に対し、現在の日本的な景観とは何かについて述べている。 押井守のアニメにおける都市観やテーマパークの都市観、幕張の都市計画、アジアの急進する都市のカオス的な景観、平壌の都市計画、日本のセキュリティー重 視の都市など多岐に渡る都市の考察を行っている。

2006年10月7日土曜日

住宅の射程


建築の射程」読了です。
以前にギャラリー間で開催された。
現代住宅展の講演を本にしたものです。
講演者 磯崎新、安藤忠雄、藤森照信、伊東豊雄の4名です。
偉大な建築家が住宅について語ります。

磯崎新は、住宅は建築ではないと言い、安藤忠雄は、住宅は建築の基本と言う。
藤森照信は、日本の最新の住宅に新たな潮流の可能性を感じ、伊東豊雄は、サランラップシティからそんなに変わっていないと感じている。

最新の狭小住宅には社会に対しての主張がなく、あくまでもnLDKの範疇の中から微細な変化を与えた住宅が生まれているという状況で、住宅を建築と呼ぶのかと磯崎は言う。
伊東豊雄は、果たして住宅に社会的な主張が必要なのか分からないという。
た だ、共通している主張は、大家族という形態から核家族になり、家族の中のプライバシーが求められ、生まれた住宅の形の延長では、現在の個人が直接社会と繋 がりを持つケータイ社会で機能するのかどうかということにある。その方向を助長していくような住宅が良いのか、家族への回帰が求められているのか定かでは ない。

興味深いのは、西沢立衛は、自作の森山邸をオープンな住宅にしたと解説しているが、実際に訪れた伊東豊雄は、開口部が大きくオープンになっているが、住んでいる人の熱気のようなものが外に伝わっておらず、透明な膜で包まれている状況から脱却できていないと見ている。

個 人的には、建築とは、気持ちの良い空間にあるのではないかと思っている。社会に対してテーマの定義は必要ではないのではないかと思う。ただ、伊東豊雄さん がいう社会に対してどうあるべきかという問題、現在の社会情勢のなかでの家族のありかたについて、何が正しいのかはまだ見えていない。
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